心臓病シミュレータ『イチロー君』の活用

 

【『イチロー君』の活用とその教育効果】

一心周期中に起こってくる心臓血管系の血行動態を始めに理解しておくことが何よりも大切ですが、では『イチロー君』を使って、頸静脈波の視診、全身の動脈波の触診、心尖拍動の触診と心音・心雑音の聴診について実際にどう診察すればよいかについて解説してみましょう。

 

 

【『イチロー君』の頸静脈波の視かた】                     

頸静脈の視診は、ポケットライトで左側から光を当てみると両側の鎖骨上でシルエットが2回(a 波とv 波)動く状態を観察することができます。正常では a 波の方が v 波より大きく見えます。患者さんの頸静脈波は視診で観察するものですから触診で静脈波を触れないで下さい。『イチロー君』の場合は空気圧で稼働していますから、脈波を触れますが、人体では頸静脈圧が水柱で僅かに10cm位しかないため、触診をしても脈として指先に触れて来ないからです。
a波は右心房の収縮によって起こる波であり第4音「IV音」 にほぼ一致し、a 波の直後に第1音 「I音」 が聞かれます 。 v 波は右心房に全身からの静脈血が流入するときに起こる波であり、第2音「II音」の直後にみられます(理論的にはc波が頸静脈波を記録されますが、ベッドサイドでは肉眼では観ることは難しい様です)。
『イチロー君』では色々な頸静脈波が再現できる様になっていますが、異常な頸静脈波はつぎの疾患で特徴的な変化を示します。
肺高血圧(a 波が著明に高くなっています)    
三尖弁閉鎖不全(v波が著明に高くなりy谷が深くなっており、吸気で増強します)
心房中隔欠損(a波とv波が同じ高さになります)
収縮性心膜炎(x谷とy谷が深くW型を示します)

 

 

【頸動脈と全身の動脈の触診】                     

次に『イチロー君』の全身の動脈波を触診するわけですが、これら動脈波は患者さんからの記録されたデータをもとにコンピュータによって再現されたもので、必要であれば心拍数、血管内圧を変えることができ、頸動脈と大腿動脈および橈骨動脈との間における「脈波伝搬速度」の差を「両手触診法」で知る事もできます(頸動脈波はI音の直後に触れ、その後で大腿動脈や橈骨動脈の脈波を触れます)。

この技術は特に聴診の際には同時に行うことにより心音と脈波の関係を「耳と手」で知ることができ、高齢者の患者さんでは動脈壁が硬くなるため脈波伝搬速度が速くなり、頸動脈と大腿動脈の脈波を殆ど同時に触れる事になります。昔から「脈を取る」という言葉が「医師が患者を診察する」ことの代名詞に使われていたことは皆さんもご存知でしょう。また、症例によって脈波は変わってきます。例えば「大動脈弁狭窄」では頸動脈の脈波は小さくなり、そして細かくふるえる「振戦」という感触が皆さんの指先に伝わって来ますし「大動脈弁閉鎖不全」では脈波は大きく二回触れる「二峰性脈」という感触が伝わってきます。これらの所見を指先で診ると同時に聴診を行えば「脈波と心音」の関係が非常によく分かりますので、『イチロー君』の診察に限らず実際の患者さんを診る上でも不可欠の技術だと思います。

 

 

 

【心尖拍動の触診】                     

健常者では心尖拍動は収縮早期に第5肋間、鎖骨中線上に軽く胸壁を押し上げる様に第1音(I音) に一致して1回触れます。『イチロー君』の場合も同じ様に触れますが、左心室が肥大すると心尖部は左下方に偏位し、拍動部位は大きく「抬動」(heave)します(これはDLVキーにより再現されます)。特に「僧帽弁閉鎖不全」や「大動脈弁閉鎖不全」などでは持続性の心尖拍動が触れ、また「肥大型心筋症(大動脈弁下部狭窄)」では皆さんの手掌に3回の心尖拍動が触れてきます。右心室が肥大すると心臓の拍 動は心尖部ではなく、三尖弁部位で「挙上」(lift)しますが「僧帽弁狭窄」や「三尖弁閉鎖不全」などがその代表的な疾患です(この場合はRVキーにより再現されます)。三尖弁閉鎖不全では頸静脈波が収縮期に一致して拍動する「 cv波」が見られ、この波は吸気によって増強します(リベロ・カルバイヨ徴候)。

 

 

【心音・心雑音の聴診】                     

聴診はベッドサイドにおける心臓病患者の診察で最も大切な臨床手技(clinical skills)であり、聴診はすでに医師だけの診察技術ではありません。特に病棟や外来、あるいは訪問看護の際にはナースの方々が積極的に患者さんを診察し看護診断を行う事が大切です。また病棟に勤務する医療関係者や、検査技師も修得すべき技術です。今後ますます高齢者の診療や在宅診療が増えることは間違いなく、臨床の第一線で活躍する方々にとって是非とも身につけて頂きたい技術であり、また最も簡単でしかも重要な検査法と考えられます。では聴診の上達法について触れておきましょう。

>静かな部屋で患者も検者もリラックスし、聴診時に共に呼吸を止めて聴くこと。  
聴診器のチユーブが長過ぎないもの(約50cm)を選んで下さい。  
聴診部位をよく知り、イヤ・ピースが耳に密着したものを使用します。  
心音の聴診部位を正確に理解しておくことが大切です。  
心雑音のタイミング(収縮期か?拡張期か?)をまづ聴き分けること。  
心雑音の強度を知ること(I 度からVI 度) (Levineの分類)  
心雑音の鑑別のため「呼吸停止テスト」「体位変換テスト」などの方法を試みること。
正常の心音の聴診は心尖部では第1音(I 音)が、第2音(II 音)よりも大きく聴こえ、心基部ではその反対に II音 が I音よりも大きく聴えるということです。そして肺動脈部位ではII 音の呼吸性分裂の有無などに注意して聴くことが大切です。心尖部位の聴診で更に大切なポイントは第3音(III音)と第4音(IV音)を正確に聴けるようになる事です。これらの心音の聴診ができれば、各心疾患に特徴的な心雑音の聴診は比較的易しいと思って下さい。

また『イチロー君』は各疾患における軽症、中等症、重症へと移行する経時的な変化をボリューム調整することによって再現することが可能です。これは心音・心雑音の聴診の際に、初心者に対してはボリューム調整することにより、音量や音質を変えることができ、内蔵された4つのスピーカー(大動脈部位、肺動脈部位、三尖弁部位、僧帽弁部位)の通して日常診療に使用している聴診器により心音・心雑音を聴くことができます。これらの身体所見が全てコンピュータ制御によって再現され、実際の患者さんを聴診するのと同じ用に『イチロー君』の心音・心雑音を聴診できるのです。 さらにアンプにより4つのスピーカーや、オッシロスコープと連結させることにより、聴診部位よりそれぞれ異なった心音・心雑音を同時に発生させて心音・心雑音の変化を画面上に見ることができます。まづ各疾患の特徴をを参加者全員が耳で聴いてから、自分の聴診器で各聴診部位の心音・心雑音の特徴を知ることが出来るのでこの方法は多人数のグループに対する視聴覚教育として最適だと思われます。

現在『イチロー君』のコンピュータには38症例の典型的な各心疾患の全ての身体所見が入力されてますが、このコンピュータにはまだまだ余力があり、何時でも新しい症例のデータを入力する事が可能です。今までの経験からすれば、私達が短期間にあらる種類の心疾患患者に遭遇することは不可能ですから『イチロー君』を使って各疾患の身体所見の特徴を把握しておくことが、何よりも大切だと思います。確かに初心者が長時間をかけて診察する事は患者さんにとっては苦痛です。『イチロー君』はその患者さんの代わりに何時間でも初心者の診察に対応してくれますから正に「疲れを知らぬ患者」という事になります。

また心電図モニターによる診断の訓練のために、52種類の不整脈、特に不整脈に伴う心音の変化、例えば心房期外収縮や、心室期外収縮の二段脈や三段脈、またその他の不整脈を発生させることによりコンピュータの画面上に現れる心電図の波形変化と共に心音に変化がでることが分かります。 更に11種類の呼吸音が入力されていますので、何時でも呼吸音の特徴を聴くことが可能です。このシミュレータは「仮想患者」(virtual patient)として, 特にICU や CCU に勤務する医師および看護婦の不整脈の診断能力の向上には不可欠のものだと考えられます。 

 

 

【『イチロー君』の教育効果について】                     

1997年1月から『イチロー君』を使って現在まで、定期的に医学生、看護婦や医師など(研修回数:43回、総数:518名)を対象に研修を行ってきました。ベッドサイドでの診察手技の向上度を毎回4時間の研修前後に25問からなる同じセルフアセスメント・テストを行い、回答の正解率を比較しました。
その結果は臨床経験の全くない医学生、または心臓病患者を直接に診察しない看護婦の場合では(医学生:X=57.13,SD=7.48 から X=78.15, SD= 9.41となり、看護婦:X=55.28, SD=5.70 から73.45, SD=6.61)と両者の間には大きな差は(p<0.001)見られませんでした。一方、日常診療に携わり患者さんを診察する機会のある実地医家の場合は研修前後の向上度は(X=60.42, SD=6.36 から X=81.24, SD=6.89)と向上しました(p<0.001)。これらの差は、実地医家の場合は従来のベッドサイド診断手技をある程度身につけているからだと考えられます。
研修前後におけるセルフアセスメント・テストの正解率よりも、実際に研修を受けた医学生、看護婦および医師など参加者の意見を聴きましたが「始めて研修に参加したので『イチロー君』に対しての予備知識が全くなかったが、リアルで実際の患者さんを診察している様なので、今度は是非もう一度改めてゆっくり勉強したい」との意見が圧倒的に多く、『イチロー君』の教育機器としての機能に対して高い評価を受けました。 さらに自習用に正常例を基本として10 秒間出力させ、次に心疾患を2 症例加えたセット(各10秒間)を作り参加者に自己テストをしてもらっていますが「頸静脈波や動脈波の変化などが心音・心雑音と共に瞬間的に変わるので、集中して勉強ができるので非常に良い」との事でした。今後、新しい症例を組み合わせる事も可能であり『イチロー君』の教育効果は極めて大きいと考えられます。

 

 

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